だいむねのブログ

元オタクが送るアウトプット用ブログ

現代病【living dead disorder】

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始めましての方は始めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。だいむねです。みなさんいかがお過ごしでしょうか?僕は酒に溺れた翌日に温泉行ってきました。睡眠薬ないと眠れないのでオールして行きました。アホです。

 

それはそうと、一個質問していいですか?

「生きてて楽しいですか?」

僕は楽しくないです。世の中には辛いことが多すぎる。

しかし、死ぬことは怖いです。僕はタナトフォビアです。いわゆる、死恐怖症です。

人は必ず死ぬ。それが納得できずに無駄に悩み、心が摩耗してこの世を去る寸前まで行きました。

生きるのは楽しくないのに、死ぬのは怖くて嫌だ。矛盾しているこの気持ちを抱えて僕は日々生きています。

そして、生きる意味は何なのかを考えています。

人には生きる意味がない。勿論、子孫繁栄は生物学的には生きる意味ですが、それを除けば何が残るのか。

そもそも、なぜ子孫繁栄が必要なのか?生物が生きていくことに意味はあるのか?それを考えさせられています。

この機会に自分の出した結論や、答えの出ない問いを覗いていってもらえると幸いです。

 

1死とは

 

1命がなくなること。

2生命がなくなること。生命が存在しない状態。
機能を果たせないこと、役に立てないこと、
能力を行使できない状態

Wikipediaより引用)

 

命がなくなること、存在しなくなることを死ということである。

この世界では生み出されたもの、今あるものは全て無くなります。それは人も例外ではありません。なんせ宇宙すら終焉が訪れると言われているのですから、人なんて簡単に終わります。

人は死のうと思えばいつでも死ねる環境下で暮らしています。今まで死を選ばなかったから生きている。それだけです。

ちょっとしたきっかけで死を選ぶ可能性があなた達にはあるということです。

私には弟がいます。弟は仕事で生活リズムとメンタルが狂い、1人で自殺未遂をしました。弟は今は元気に生きています。しかし、死んどけばよかったと思っているそうです。

弟は死ぬ道を選びました。死は選べばすぐに手に入ります。

日本は自殺大国です。毎年何万人と自殺しています。日本は豊かな国ですが、その影では命を絶つ人が多くいる。

しかし、自死自体は私は悪いとは思いません。周りの人に死んで欲しいとは思いませんが、死ぬ権利はあると思います。

自殺する動物は人間だけです。賢い生物は本能だけではなく、知識、理性で自分を殺すこともできる。

このように、自分で死を選ぶ人もいる中で、死そのものを恐れる人もいる。

人は賢くなりました。現代の世界では大抵のことは成し遂げることができるでしょう。

しかし、死ぬことからは逃れることはできません。

何故死ななければならないのか。

死があるから生を謳歌できるという考えがあります。終わりがあるから今に全力になれるといつものだ。

しかし、終わりがないならないほうがいい。終わる必要がないのであれば続くことが良いであろう。

死ねば全てが無意味になる。積み上げてきたものも、思い出も、人間関係も全て無くなる。

そして、思い返すことも、これから先起こることを体験することもできない。それを気づくことすらできない。私はそれが怖い。

そして、どうせ終わるものに意味があるのかと思うようになった。

どうせ終わり、全てが消える。そんなものに時間もお金も使って良いのか?生きてる意味ってなんだ?と思い始めた。

死が怖いと生きる意味は無いで矛盾した思考をループした私の心は壊れ、不安障害という病気を患うことになった。

この期間わずか3日。3日間の間死を恐れ、生を否定することで人は簡単に壊れる。

死ぬ寸前に感じるであろう恐怖、不安感を常に感じ、眠りたくても眠れなくなる。

死ぬのが怖いが、この気持ちをずっと背負って生きるよりも死んだほうが楽だろう。そう思い、高所から飛び降りようとしたこともあった。しかし、私はタナトフォビアだ。死が怖い。土曜日にこの思考に陥り、病院が月曜日まで空いていなかったので、火曜日に病院に行った。

薬を処方してもらい、服薬すると心が軽くなった。比喩とかではなく、本当に心の不安感が和らいだのだ。

人は脳から分泌される成分に簡単に左右されるということだ。だから天国も地獄もない。あの世に脳は持っていけない。ならあの世があったとしても認識できないだろう。認識できないのであればないも同然だ。

私はまだ治療中だ。薬を飲んでも怖い時は怖い。

死は必ず訪れる。不意に訪れる場合もあれば、選択して訪れてもらう場合もある。

だが人は死に対して無関心だ。それは結果が変えられないからだろう。

死は変えられないゴールだから考えるだけ無駄と割り切っているのだろう。羨ましい限りだ。

死を納得できたとき、人は強くなれる。死を受け入れられるように私はなりたい。

 

2生きる

生きることは良いことだ。直接教わったわけではないが、何となくみんながそう教えられているだろう。

生きることは生存本能から考えても正しいだろう。生物は生存、繁殖を目的に存在しているのだから。

人間も生物であり、生きること、繁殖することを是としている。本能的に生きること、繁殖を中心に人間は動いている。繁殖が人間の生きる意味であり、生活部分は繁殖までの繋ぎである。

しかし、人間は頭が良い。そして、人間は繁殖を制限して活動している。

昔の人間はとにかく繁殖行動を起こしていたし、一夫多妻制が主だった。だから人間はそのために社会を回し、そのために生きていたと言えるだろう。

だが、今は特定の相手以外の繁殖行動は制限されている。これは本能からは程遠い行動制限である。浮気が多発したり、性的活動に依存するのは繁殖制限の反動があるだろう。

繁殖制限は絶対悪ではない。人間は増えすぎた。それを抑制する意味でも繁殖制限は一役買っている。

また、現代の大半の人間は一家庭を養うのが限界であろう。繁殖制限がなければお金のあるもの以外はほとんど生殖ができない。昔はみんなで食料を取っていたが、今は食料に不足することはない時代だ。なら、金のあるものを拠り所にするのは正しい判断だ。

生殖制限は所得格差による生殖レースの偏りを緩やかにしている側面もあると考えられる。

繁殖制限によって人間は繁殖に意味を見出しにくくなった。それによって、繁殖以外の行動に生きる意味を見出し始めた。それがいわゆる娯楽というものだ。

娯楽の種類は様々だ。食事、運動、音楽、ゲーム、映画など人によって好みが分かれる。

だが、人は本能には抗えない。娯楽はあくまで後天的にできたものであり、本能は先天的に備わったものだ。生殖活動が少ない人物は多い人物に比べて幸福度が低い傾向がある。

日本の幸福度が低いのはこれが原因なのかもしれない。日本は性活動が先進国で1番少ない。

性活動は生殖活動に含まれる。男性は多くの子孫を、女性は良い遺伝子から授かった命を残すのが本能として備わっている。

長くなったが、生殖制限によって娯楽を生きる意味にする必要ができたということを伝えたい。

また、人は他者との関わりが必須である。人間は痔の如く、人の間と書く。これは周りに人がいて初めて機能する生物であるということだ。

人間は孤独に弱い。孤独は楽だが満たされないのだ。