No disorder,No life.
どうも。大抵の方は始めまして。少数の方はお久しぶりです。だいむねです。
最近暑いですね。熱中症になるとお金かかるので暑さ対策しましょう。
2,000ポイント欲しさにそれを超える損害を出す必要はないです。無理のない節電ライフを送ってください。
とまあ、暑さの話題で氷を溶かすが如く、アイスブレイクを行いました。文才のなさは分かっていただけたとは思います。これでも文系大学卒です(偏差値40台後半)。
今回は自分の持ってる障がいと僕の価値観についてです。
と言うのも、障がいを患ってよかったなって思ったからです。
障がいは治りません。だから障がいなんです。そして、精神障がいは目に見えない。だから理解も遅れている。
鬱は完治はしません。鬱は花瓶が割れるのと同じで、一度患うと修復できません。接着剤で止めて機能はするかもしれませんが、ヒビは直らない。それが鬱にも当てはまる。
そんな障害(disorder)を僕は抱えて生きている。薬は5種類も飲んでやっと人間を保っている。正直、何回死のうと思ったか分かりませんし、実際死のうとして行動を起こしたこともあります(止められましたが)。
しかし、僕は障がいを持って生まれ、患って幸せだと思います。
そんな僕の自己紹介をよろしければ読んでいってください。
INDEX
- 僕の持つ障がい
- 僕という存在
- No disorder,No life.
1:僕の持つ障がい
4つあります。
それぞれ見ていきましょう。
詳しくは画像を見てください。
これの他にもマルチタスクが苦手とか、ワーキングメモリーが小さすぎて聞いたことをすぐ忘れるとか色々ありますが、だいたいこんなもんです。
簡単に言うと、仕事のミスが異常に多い。
しかも、プライベートにもそれが現れる。そんな障がいです。
人なら10回やって1回間違えるようなミスを少なく見積もって5回とかやっちゃうイメージでいてください。
別にこれだけならいいんですよ。よくはないけどね。
これを繰り返すと何が起こるかわかりますか?
答えは簡単です。自信を無くします。
できて当たり前のことができない。これは相当なストレスです。自分はできない人間なんだなって感情を繰り返すたびに増幅させていき、後述する鬱へとつながっていきます。
精神障がいの悪いところは二次障がい特に鬱になりやすいことです。大半の精神障がい者は鬱を患っています。まあそれについては後述します。
これも画像を見て貰えばわかるんだけど、ちょっと足りないので補足します。
コミュニケーションがめちゃくちゃ苦手です。
暗黙の了解がわからない、そもそも会話のキャッチボールが成立しない。他人の気持ちを理解できないなど、ASDは人間関係に現れることが多いです。
そしてこれも仕事でミスを招く要因になります。主にヒューマンエラーです。
報連相がしっかりできない、良好な人間関係を築けない、議論が成立しない場合があるなど色々な問題が生じます。
健常者はこれを当たり前にできている人が多いと思います。しかしそれをこなすのが難しい。
そして、これも繰り返すことで自信を無くし、鬱に向かいます。悲しいなぁ。
3.鬱病
画像を見たら大体わかります。付け加えるなら自己否定が激しいことですかね。自己肯定感がえげつなく低いです。
そして鬱は怖いことに、簡単に死ぬという選択肢を取れるようになります。
カードゲームで言えば、手札に死ぬと言うカードが加わる感じです。
これは比喩でもなんでもなく、鬱病患者は本当に死を選びかねません。何もうまく行かないと考え、この世を去りたいと思ってしまう。僕がそうなんですけど、本当に鬱は怖いです。
しかも、治りません。鬱病は治ったとしても再発率が異常に高い。
一度壊れた心は治らないということです。怖いね。
4.不安障害
僕は少し一般的な不安障害とは違うので、文章で説明させていただきます。
僕は死恐怖症です。タナトフォビアってやつですね。
死ぬことが怖いです。それが突発的な死であれ、寿命であれです。
人は死だけが平等に与えられている。誰しもが死ぬ。僕はそれに耐えられない。それだけの話です。
それだけの話ですが、それがもたらしたものは壮絶でした。
まず、ご飯が喉を通らない。地味にきついです。3大欲求ですからね。
次に、死ぬ直前に感じるであろう恐怖感を常に感じる。これが1番きつかったです。なんせ、これから死ぬって感情を常に抱きながら生きている。心臓が凍るように冷たく感じ、大きな鼓動を感じ、発狂寸前の状態に3日間陥っていました。
恥ずかしながら、女性の裸体を前にしてもその状態でした。マジで発狂寸前で、糸が切れたら発狂するって言うのを常に感じていました。
そしてそんな日々が3日続いた末にたどり着いた思考が「あ、もう疲れた。死のう」という思考です。
ん?って思うかもしれません。死ぬのが怖いのに、最終的に出た思考が死のうと言うものなんですから。
僕も驚きましたが、異常な精神状態に脳が耐えられず、活動を停止することを選んだと言うことでしょう。僕が人生で1番しんどかったのはこの3日間です。この後元カノと別れて死を選びかけたんですけど、しんどさで言えばこの時が最高潮にしんどかった。
ちなみに何故早く病院に行かなかったん?って言われれば、行きつけの病院が休みだったからです。他の病院を選ぶ余裕すらなかった。
…とまあ、語りすぎましたが、不安障害についてはこんな感じです。
2:僕という存在
僕はこういった障がいを持っている。さも不幸だと思うかもしれません。
その答えは
不幸だとは思ってます。
はい。不幸に決まってんだろ。
でもまあ、幸福でもあると思ってはいます。
それは、患わないと分からない苦しさを経験できたからです。
僕は社会的にみれば弱者です。
仕事ができない、コミュニケーションに難がある、常に気分は沈んでいる。そんな人間が社会的な強者なわけはありません。
しかし、僕は弱者の気持ちがわかる。
仕事ができない人の気持ちも、コミュニケーションが取れない苦しみも、鬱病のしんどさも全て理解できる。
僕は人生の辛い部分を歩んできた。だから、他人に優しくできる。
しかし、ただ弱者でいるわけではない。心理学習をすることで健常者に近いパフォーマンスを出せるように努力はしている。
そしてなにより、健常者として生きていた場合、知りもしなかった知識、価値観を手にすることができた。他人と手を取り合って助け合う。人には得手不得手がある。普通のことを普通にできるということはすごいこと。これらの価値観を得ることができた。
それは健常者として生きているより幸せなのかもしれない。そうは思っています。
そして、僕は自他共に認めるお人好しです。そして、この他人のために何かしてあげたいと思えるその心は健常者として歩めなかったからこそ手に入ったものである。
だから僕は幸せなんだと思う。これが僕の個性なんだって胸を張って言える。
でも、人生100年時代、あと70年弱もこんな困難と向き合うのは辛いなとは思いますけどね(笑)
3:No disorder,No life.
画像はいいのがなかったのでこれで。ビール好きなので(笑)
まあ、僕はこれらの障がいを受け入れて、辛いけど楽しく生きています。
障がいがない僕は僕じゃない。障がいを含めて僕なんだ。
だから障がいで得た経験や価値観は僕のもので、僕の宝物である。
この宝物をこれからも大事にしていきたいと思う。
そして、同じように困ってる人がいたら、相談してほしい。
力になりたい。本気でそう思っています。
みんなが幸せに生きられる世界をみんなで作っていけたらと思います。
これにて終わろうと思います。駄文にお付き合いいただき誠にありがとうございます。
次のブログでお会いしましょう。では。