だいむねのブログ

元オタクが送るアウトプット用ブログ

普通と異常

初めましての方は初めまして。

お久しぶりの方はお久しぶりです。

だいむねです。

我思う。『普通』ってなんやねんと。

周囲に『普通』にしろと言われるが、何を持って『普通』とするのか。

そして、対義語である『異常』とはなんなのか。

今回は『普通』と『異常』について掘り下げていこうと思います。

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①『普通』とは

[名・形動]

特に変わっていないこと。

ごくありふれたものであること。

それがあたりまえであること。

また、そのさま。

コトバンクより引用)

 

②『異常』とは

[名・形動]

普通と違っていること。

正常でないこと。

また、そのさま。

コトバンクより引用)

 

『普通』の対義語である『異常』は『普通』をベースとして形作られている。つまり、『普通』という概念がなければ成り立たない言葉である。

では、普通にフォーカスを当ててみよう。

 

(1) 「特に変わっていないこと。」について

特に変わっていないとは、何を基準として「特に変わっていない」とするのか?

主観?客観?社会?

ここから考えられるのは、『普通』というのはベースラインによって大きくブレの生じる曖昧な概念が『普通』というものである。

 

I.主観から見る「特に変わっていないこと」

主観から見る『普通』は「その人の周囲の人間の平均」と私は考えています。

例えば、同じ会社員でも上場企業とベンチャー企業では、周囲の人間の行動、思考、判断は異なります。

主観から見る『普通』はほとんどが「周囲の人間」を基盤としています。比較対象が近くにいる人間になってしまいます。

一般社会の常識から見る『普通』もあります。

しかし、主観である以上、『普通』であるかをジャッジするのは【自分自身】です。

他社と比較しても、最終的には自分で判断しているのが主観から見る『普通』です。

 

II.客観から見る「特に変わっていないこと」

客観から見る『普通』とは、「自分以外からの評価」です。

それは「評価者の周囲の人間」がベースラインになります。

被評価者の立ち位置は関係なく、評価者の立ち位置によってその人が『普通』であるかどうかがジャッジされます。

これに関しては被評価者の意思は介入できません。第三者評価となります。

 

III.社会から見る「特に変わっていないこと」

問題の『社会の普通』というものです。

私の完全な偏見ですが、【健常者の平均値】が『社会の普通』です。

健常者ならできて当然、特に変わっていないことが『社会の普通』に当てはまると私は考えています。

平均値とあえて述べたのは、日本がオールラウンドに物事をこなすことを美徳、当然としている風習だからです。

集団を重んじるが故に、健常者の平均が『普通』とされていると考えます。

諸外国では、突き抜けることが良いとされているケースが多く、その場合の『社会的普通』の定義は大きく変わるでしょう。

しかしここは日本です。日本では『健常者の平均値』が普通です。

それゆえ生きにくいのが『障がい者』です。

私もADHDASDHSP、鬱など、多岐にわたる『障がい』を有しています。

私の『普通』は社会では『異常』と見なされてしまいます。普通のレベルが違いすぎるのです。地球人とサイヤ人くらいの違いがあります。

社会の『普通』は主観、客観に大きく影響を与えます。

社会が『異常』とアラートを出しているものを、社会は求めない。そして、それは客観に影響し、排斥しようとする。そして、最悪のケースでは主観にまで影響し、自己否定に走ってしまう。

世の中の『普通』が及ぼす害は『異常』にとっては地獄なのです。

 

(2)社会的『普通』の深掘り

社会的な『普通』は「健常者の平均値」と定義しました。

しかし、僕が見る限り、完全な『普通』とされる人間は少ないと思います。少なからず『異常』を抱えて生きている人間が大半でしょう。

しかし、それでも『普通』として振る舞えるのであれば、それは『普通』なのです。

逆に、それができない時点で『異常』としてアラートが出されてしまう。厳しい世の中です。

何かが欠けていても、他の部分で補ている、欠けている部分が軽傷の場合は『普通』であり、他の部分が多く欠け、重症の場合は『異常』と結論づけたいところです。

 

(3)『異常』者の取るべき行動

『異常』と烙印を押された人間はどうするべきなのか。僕の人生のテーマです。

結論、適度に客観を意識しながら、主観で強みを活かすことです。

『異常』は凹凸が激しく、何かが大きく欠けている。

しかし、欠けていない部分もある。その部分を強化し、突き抜けてしまうのが最適解と考えます。

『普通』にならないなら『普通』を捨てればいい。『異常』を武器に配られたカードで勝負するのが『異常』者ができる最大の努力と考えています。

無理なものは無理です。それが平均値であっても。

できるものはできます。それが平均よりはるかに突き抜けていても。

まず大切なのは自分の平均値を知ることです。

平均を割るものと超えるものを精査し、超えるものにリソースを割く。それしか生き残れません。

無闇に全てを平均に平すのは、無理です。『普通』な人はただ『普通』であって、その気になれば突き抜けることも可能なのです。

なら、オールラウンドを捨て、特化した存在になるのが『異常』者の生き残る道だと考えます。

規範内であれば、社会がそれを許さなくても構いません。

『普通』は幻想にすぎません。皆どこかは『異常』であり、完璧に『普通』である人間はいない。

なら、幻想に囚われる必要はないでしょう。

『異常』の値をカンストさせて、周囲を圧倒してしまいましょう。

 

ただ、コミュニケーションに関しては『普通』に寄せて損はありません。そこが凹んでいるとしても、そこだけは平すと、選択肢が大きく増えます。

これが辛いところですが、損はしないので一考してみてください。

 

(4)終わりに

走り書きなのでこんな感じです。

健常者の『普通』を押し付けんなって思ったので勢いで書きました。

アイツら自分のこと棚に上げてくるから僕は健常者が嫌いです。見下してくるもん。

だから見下せる分野を作るのは大事やなと思いました。闇が垣間見える文章ですが、自己防衛としてこのスタンスは大事かと思います。

まあ、比較するだけ馬鹿らしいので、主観で社会が求めてるもの、突き抜けれそうなものを磨くのがベストだと思います。

一年以上ぶりに執筆しましたので、文章が幼稚に見えるかもしれませんが、ご愛嬌ということでお願いします。

それではまたどこかでお会いしましょう。