だいむねのブログ

元オタクが送るアウトプット用ブログ

25歳男性、生きる意味を考える

はいどうも。始めましての人は始めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。だいむねです。

食欲の秋。なんでも美味しいのでめっちゃ食べてめっちゃ酒飲みたい時期ですね。この時期の焼き魚ほんとに美味しいのでみんな食べて生を実感しよう。

とまあ、今日は生きる意味を考える回です。

僕はタナトフォビアです。タナトフォビアは死恐怖症です。死ぬのが怖いです。

僕は突然死ぬのも嫌ですし、寿命で死ぬのも嫌です。死という概念を受けいれられていません。

こんなこと考えすぎるとですね、心が死にます。死ぬ直前に味わうであろう人生で1番であろう恐怖心を常に感じるわけです。

その結果、考え続けて3日で死を選びかけました。人間って簡単に壊れますね。

死を選ぼうとした理由が「生きてる意味なくない?」というものでした。生きていても死があるのなら生きてることに意味などないのではないのか?と思ったのが死を選ぼうとした理由です。

幸い、僕の身内が死を選んで生還して、その周囲の人たちの顔が脳から離れなかったので死は選びませんでした。いや僕の身内で死を選んでるのは幸いではないがな。

ちなみに5kg痩せました。食事もろくに取れない日々が1週間近く続いたので備蓄の脂肪を使ったのでしょう。デブデブ言われてたので思わぬ効果に大喜びです。私元々標準体重なんですけどね…

まあ生を選んだからといって心は治りません。壊れた花瓶はヒビが残ってしまうのと同じです。傷は一生残ります。

アレから僕は生きる理由を探しています。逆に今読んでくださってる方にお聞きしたいですが、なんで生きてるんですか?

僕は死にたくないから生きています。それだけです。僕には彼女がいますし、趣味だってある。ただ、心の充実感はあまりないです。

彼女は一緒にいると安心します。一緒にいると楽しいです。彼女を支えるのが生きる意味になるのかもしれません。ですが、僕の人間的な充実感は完全には埋まりません。

趣味のゲームもひたすらやり込んで、勝っても充実感がない。興味が薄れてきたのかもしれませんが、このために生きてるのか?と考えるようになってきたかもしれません。

とまあ、僕の病んでる状況を読むのもアレだと思うので、今回は人間とはなんなのか、生きる意味はあるのか?などを考えてみようと思います。

 

  • 生きる意味とは

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僕の出した結論を最初に言います。

 

生きる意味はないです

 

はい。賛否あると思いますが、そこは僕の説明を聞いてから考えてみてください。

 

  • 生物学的に見た生きる意味

人間だけでなく、生き物は生存と繁殖を目的としています。

生きて子供を産んで育てる。その子供がまた子供を産んで育てる。それを繰り返す。ただそれだけのために生きています。

その先に何があるのか、何を目的でその連鎖を続けるのか。それは僕にはわかりません。それは神のみが知るといったところでしょうか。私は無神論者なので神は信じていません。といっても、あの世はあって欲しいとは思う。死んでも意識があって欲しいと思っているからです。タナトフォビアですから。

まあ、話はそれましたが、とにかく生物は生存と繁殖を目的に生きています。であればこれが生きる意味にあたるのではないか。とこれだけなら思います。

人間には三代欲求というものがあります。

  1. 睡眠欲
  2. 食欲
  3. 性欲 

と一般的にはこれらが人間の三代欲求です。

睡眠は絶つことができません。断眠しようとしても、限界が来れば絶対に眠ります。鬱傾向になれば眠りの質や時間は減りますが、眠らないということはないです。故に、最重要なのは睡眠です。

 

食欲は絶つことはできます。人間には食べないという選択を取ることができます。限界が来ても食べないという意思があれば食べないことができます。もちろん死にますが。

鬱傾向になれば食事が喉を通らないなんてこともあります。僕はそうでした。無理やり食べても吐き気に襲われる。お腹は空いているはずなのに食べたくない。そんな症状がでます。故に重要だが、絶つこともできるものです。

 

性欲は絶つことはできます。性行為をしなくても生きる上で支障はありません。せいぜいストレスが溜まるくらいです。

鬱傾向になれば性欲は消えます。僕は男性ですが、死を考えてる時に彼女の裸を見ても勃ちませんでした。故に、生きるのに必要はありません。

ちなみに、お恥ずかしいですが、僕はすぐ勃ちます。そんな人間でも勃たなくなるくらい鬱はやばいです。鬱だと感じたらすぐに病院に行ってください。そして、人に頼ってください。迷惑だとか考えてるならあなたが死んだほうが迷惑になるので気にせんと頼りなさい。身内が死にかけて俺は言葉を選ばずにいうならクソ迷惑やなと思いました。身内のメンタルケア、自分のメンタルキープ、病院代などほんとに大変です。俺は長男だから耐えられたけど。いや、病んでるから耐えてないか。なので泣きついて頼られた方が100倍なんなら10000倍楽です。もっと人に頼れみんな。

話が脱線したので戻しますが、三代欲求のうち睡眠と食事は生存に必要です。

しかし、性欲は生存に不必要です。

性欲は繁殖に必要ですが、生存には必要ありません。

生存と繁殖が目的といいましたが、生存は極論繁殖のためにしています。

つまり、繁殖をしてやっと生きていると言えるでしょう。生存だけでは生きている意味を見出せない。それが生き物だと私は思います。

しかし、人間は他の生物とは少し違います。賢いのです。しかも、寿命が長い。

故に、生存と繁殖だけでは生きる意味と捉えきれない。

我々人間は現在の二十代で100歳まで生きると言われています。

そんな人生100年時代のうち、繁殖に割ける時間はしれています。後半は性欲湧かないでしょう。特に女性は閉経しますから余計です。

俗に言うセカンドライフは他の生物から見れば異端です。人間も元々は寿命が長くはなかったはずです。しかし、医療が発達し、特に日本では健康保険に加入すれば誰でも安く医療を受けられる。人間はこの世界におけるエラーの1つです。

 

  • 人間という文字から考える

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人間は「人の間」と書きます。個人を人と解釈すると、人の周りには人がいます。そして、人の周囲には人がいて、その人の周囲にも人がいる。そうした連鎖の中、気づけば人の間に人がいる。そういうふうにコミュニティを形成して初めて「人間」として機能する。それが人間だと私は考えます。

つまり、人はコミュニティを形成していないと生きる意味を見失い、1人では生きていけない生き物だということです。

古来の人間は1人だと確実に死んでいます。古来は男性は集団でマンモスを狩り、それを集約に持ち帰り食事として女性と共に食していました。

女性は集落を形成し、集落で作業をして、男性の帰りを待ちながらコミュニティを発展させていました。

その際、気に食わない人間は追放されていたそうです。そういう人間は周りに人がいなくなる。なので人間ではなく人になる。そういった人は男性からの食事も女性からの助けも無くなり、例外なく死んでいったそうです。

昔は一夫多妻制で、狩が終わったら複数人の女性と性行為をしていたそう。それがまさしく生きる意味だったのです。

時は流れ、現在では死の危険は基本的にはありません。人が人らしく生きられるように社会が形成され、その社会のルールに従って我々は生きています。

今でも人はコミュニティを形成して人間であろうとします。それが生きる意味に繋がるからです。そうして生存する意味を見出そうとする。

そして、人間として生きられるようになると、繁殖を望みます。いわゆるSEXです。

SEXをすることで繁殖という人間の本当の生きる意味を実現することができる。

しかし、現在のSEXは娯楽に成り下がっています。なぜなら避妊前提で行われるからです。

もちろん、結婚相手とは避妊を行わないですが、結婚したくないなと思ったり、まだ様子見やってパターン、単純にやってみたいけど子供は作りたくないというパターンなど多種多様です。

SEXはもはや子作り以外の場合、生きる意味ではなく娯楽です。子作り目的以外だとゲームやスポーツとなんら変わりはありません。

そんな娯楽と化したSEXですが、娯楽でもSEXはした方がいいです。なぜならSEXのために人は生存しているのだから。

 

  • humanという文字から考える

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humanはhomoが語源とされています。ホモ・サピエンスのことです。また、ホモ・サピエンスの語源はラテン語のhumus(地面、大地)とされています。聖書では「6日目に土から人間を作った」とされています。これに関連してhumanという単語が出来たと思われます。

また、

humble 「謙遜な,卑しい,地位が低い,つつしみ深い」
humility 「謙遜,卑下」
humiliate 「自尊心を傷つける,恥をかかせる」
humidity 「湿気」

など、神に対して手の届かない地面に関連するものはhuというスペルが使用されています。

人間は土の象徴で、神は天の象徴であって人間には手の届かない存在ということを表現しています。

また、Manは現在では男性という意味ですが、古来のManは「知性のある人間」という意味を持っていました。これは人間は他の生物とは違うということを明確に示す単語だということです。

人間には知性があり、知性によって人間は特別であると位置づけられていると考えられていることが分かります。

 

  • 上記2つを合わせて考える

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人間は生物であるので生存と生殖が生きる意味ではあるが、他の動物とは違い知性を持っている。そのため、生存と生殖以外にも生きる意味を見い出せる可能性を秘めている。私はそう考えています。

通常の動物ないし古代の人間は明らかに生存と生殖のみを生きる意味としてきた。

しかし、現在は長すぎる寿命と溢れるほどある娯楽、スポーツ化した生殖活動によって生きる意味はあやふやになってきている。

現在の若者は性行為に無関心な人が多いらしい。また、人との関わりが必要ないとする人までいる。これは人が人間であるための理由を捨てているに等しいのでは無いのか?

人間であることを捨てれば人は生きる意味を失う。それは私がいちばんよく知っている。自殺しかけましたから。

 

  • そもそもの問題としての視点

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そもそも、何故我々生物は生存と繁殖を目的に生きているのでしょうか?

そしてそもそも、何故この世界が存在し、存続しているのでしょうか?

おかしいと思いませんか?そもそも宇宙も地球も世界も生物も存在している理由そのものが見当たりません。

物事には目的があります。労働は金銭を稼ぐため、娯楽は楽しむためなど目的がなければ何かをなそうとは思わないわけです。

 

  • 作品から見る生きる意味と死

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僕の好きなゲームに次のような言葉があります

 

昔、爆発があった
この『宇宙』は、爆発から産まれた

昔、爆発があった
この『星』は、爆発から産まれた

昔、爆発があった
この『生命』は、爆発から産まれた

そしてまた、爆発が起こる
…これが、我々の目撃する『最後の爆発』になる

 

これはDEATH STRANDING というゲームの1番最初に聞けるセリフを抜粋したものです。

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この世界はビッグバンから始まり、そこから星が生まれ、生命が生まれた。

この爆発は何か意図があって起こったものなのか、そうでないのか。前半でも話しましたが、それは分かりません。我々人間視点からすれば、意図はわからないのだから無意味と言ってもいいでしょう。

そして、最後の爆発とあります。これに関してはゲームのシナリオに関連することなので深くは触れませんが、簡単な要約すると人類はいずれ絶滅します。

この世界の生物は誕生と絶滅を繰り返しています。進化の過程で新たな生物が生まれ、最終的には絶滅していく。それがこの世界の真理です。

少しネタバレになりますが、DEATH STRANDINGはこの絶滅に抗う物語です。

分断されたアメリカ大国をもう一度一つにするために繋ぎ、人類を絶滅から救う。そんな物語です。

そして敵にはどうせいつか絶滅するなら今すぐ絶滅しても変わらないと考える絶滅過激派がいます。

私はその考えが分からなくはないです。いつか終わるのであればいつ終わっても問題はないだろう。だって絶対に終わりは来るんだから。

意味もなく始まり、意味もなく終わる。それがこの世界の真理なのです。終わるのなら意味はない。そう考えても不思議ではないと私は考えます。

しかし、この作品は人間が生きるということは素晴らしいということを教えてくれます。

そして、人が人間であるために必要な繋がりをテーマにしています。

最初は分断されているアメリカ。それを主人公のサムはもう一度繋げるべくアメリカ大陸を横断します。

サムは接触恐怖症で、他人に触れることができません。他人と繋がることを拒否したサムは大陸を繋いでいくことで人と繋がることを覚えていきます。そして、自分のした行いはどこかの知らない誰かのためになっている。これをサムだけではなくプレイヤーも実感することができるように設計されています。人が人間としてあるべき姿を提示してくれる素晴らしい作品です。一度DEATH STRANDINGをプレイしてみてください。最後までプレイすれば後悔はしません。

人は誰かのために何かをしてあげることで人と繋がる。それが生きている実感につながるのです。

 

もう一つ、作品から抜粋したいと思います。

 

「善いことは続くこと、悪いことは終わること」

 

です。こちらはバビロンというアニメからの抜粋です。

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この作品は賛否があり、よく放送できたなとも思えるほどの作品です。私はすごく好きですが、人に薦めれる作品ではないです。気分を害する可能性がありますから。なんせ、公式のキャッチコピーで【見る劇薬】とまで言われている作品ですから。

しかし、我々人間が人間であるために必要なものはなんなのかを深く考えさせられる作品です。

こちらも軽くネタバレしますが、この作品には自殺薬というものが存在します。

そして、その薬を使って自殺する権利を国民に与える自殺法の施行がなされようとする。それを止めるというもの。

何が正義で何が悪なのか。それを考えさせられる作品です。

主人公は最後にこう結論づけた。「善いのとは続くこと。悪いことは終わること。」と。

これは生き続けることを善とし、自殺すること、終わらせることを悪としている。

私は悪いことは終わることという部分に引っ掛かりを覚えます。

何故なら、全ての生物、出来事には終わりがあるからです。

終わりだけは平等です。始まったものには何一つ例外なく終わりがある。であれば、全部の物事は悪であるのではないか。と。

また、終末医療で延命措置をするのはどうなのか。末期患者が安楽死を望むのは悪なのかなど、終わることが完全に悪なのかというのを考えさせられます。

終わることは悪だと決めつけるのは難しいと思います。

また、終わり方次第では死は美化されます。

最近でいえば鬼滅の刃の煉獄杏寿郎なんかがそうです

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誰かを守って死ぬ。特に子供や後輩なんかを庇って死ぬ場合は特別美化されます。

これについてはまた何かで記そうと思うので深くは触れませんが、場合によっては死は受け入れられる。完全な悪とは言い切れないということを伝えたい。

 

  • 結局生きる意味とは

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結局、生きる意味はなんなのか。これに関しては結局意味はないです。

生存と繁殖が生物として生きる意味です。人間もそれは変わりません。

繁殖は性行為、子を産むこと、育てることにあたりますが、後世に何かを残すというのも私なりの解釈で繁殖にあたります。技術、知識、記憶を後世に伝え、伝承していく。これは遠回しに繁殖に入るのではないのかと私は考えています。

しかし、その命のリレーをする意味自体がそもそもわからない。故に、生きてても意味はないのです。

しかし、人間には知性がある。animalではなくManである。

私は生きる意味はないと結論づけていますが、意味はないんだから生きてる間は好きなことをすればいい。そう考えています。

だって生きてる意味はないんだから。なら、意味を自分で修飾してあげればいい。

あなたがしたいことに身を任せ、限りある人生を謳歌してください。それがあなたの生きる意味になる。

しかし、社会に属する以上は社会のルールの範囲内でしてください。人を殺してはいけませんし、誰かを困らせるようなことはしてはいけない。

人間は社会性の生き物です。誰かの為に何かをするのが本能的に好きな生き物だとわかっています。

利己的な社会ではなく、利他的な社会を皆さんの手で作り上げて欲しい。

そんな利他的な社会を形成し、自分のやりたいことを社会のルール内で謳歌する。皆さんにはそんな人生を送って欲しい。

私は人と触れ合うことが好きだ。人と何かを共有し、人のために何かをしてあげたい。

それは彼女や家族だけではなく、私の周りにいる人たちみんなにしてあげたい。それに私は幸せを感じている。

このクソ辛い経験からそれを学びました。私は人が好きなお人好しです。でもそれでいい。それが私なのだから。

そして、私みたいにこんなくだらないことを考えて心を壊してほしくない。こんなんで心を壊すのは私だけで十分です。

どうかこれを読んだ方が幸せに人生を送れることを願っています。

では今回はここまで。感想等あればTwitter(@5Daimune)まで。いいと思ったらリツイートやいいねなどよろしくお願いします。では、またね。