うつを克服した1年間 就労移行支援という選択肢
あ、どうも。だいむねです。はじめましての方ははじめまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。
今年も終わりますね。みなさんはどのような一年をお過ごしでしたか?
今年の漢字が「戦」らしいですね。僕も自分で決める漢字は「戦」かもしれません。
世間でいう「戦」は戦争とか、物価高とか、W杯とかの戦が理由ですが、僕にとっては【自分自身との「戦」】が理由でした。
去年まで僕は厄年で、今年から厄を抜けたんですけど、厄年って馬鹿にしてはいけないんだなって思いました。
スペックを紹介すると
が基本ステータス。
去年
- 25歳
- フリーター
- ゲーマー
- 社不
- 彼女と2年半ほど付き合っていた。
- 重篤な鬱
薬(1日に服用する量)
- アトモキセチンカプセル×3(ADHDの薬)
- アナフラニール×3(抗不安薬)
- レキサルティ×1(統合失調症の薬)
- フルニトラゼパム×1(睡眠薬)
- ランドセン(レストレスレッグス症候群の薬)
- あと2種類の抗不安薬×1(忘れた)
今
- 26歳
- 就労移行支援事業所に通所中。模擬会社でサブリーダーしてる。
- 趣味がゲーム→読書、勉強に
- 社不→社会貢献の準備中
- 新しい彼女と付き合っている
- ほぼ寛解状態の鬱
薬(1日に服用する量)
とまあ、こんな感じ。
就労移行支援に通ってから、僕は変わりました。
まあ実際は鍼灸院という謎の多そうなものにも助けられてはいます。鍼灸院について知りたい方はDMしてください。
まあとにかく、体調のベースを整えたのは鍼灸院だとは思います。
まあ、これだけじゃどう変わっていったのかわかりにくいと思う。のでまあ、そんな僕の1年間を見ていってくださいな。
2021まとめ
- 鬱発症(正確にはその前の年の10月)
- 親族が自殺未遂。周りを励ましまくり、疲れて鬱が悪化。
- 心療内科の主治医の診断ミスで抗不安薬を打ち切られる。結果、酷い希死念慮に襲われ、何度かベランダから飛びかける。また、死ぬ直前に感じると思われる最も強い不安感を常に感じる。ご飯が喉を通らず、体重が5kg落ちる。
- 2週間に一度くらいの周期で精神が崩れる。よくベランダから飛ぼうとしてた。
- 障害年金をもらうために病院を変える。
- レストレスレッグス症候群を発症。足を動かしていないと虫が這うような不快感に襲われる。電車に乗れない程の重篤さ。起きてるの自体が苦痛だったので、めっちゃ強い睡眠薬を飲んで10分ほど不快感に耐えて気絶するように眠る生活が始まる。1ヶ月ほどで治った。
- 1年間ずっと酷い癇癪を起こし、自傷行為(頭を壁にぶつけまくる)を行う。また、物、壁がボロボロになり、親がカサンドラ一歩手前になる。GCコン(スマブラ用のコントローラー)は6台くらい買いました。
- 年末にレストレスレッグス症候群を再発。
はい。入院してないだけで深刻な病気でした。
実際、当時の彼女には「入院しろ!」と言われ、手続きを途中まで進められてました。今考えても頭おかしいし、よく生きてられたなって思います。
人生で1番辛い年でした。
2022年
1月
- ADHDの対策プログラムを受講
- レストレスレッグス症候群用の薬をもらう。飲んだ翌日から一切の症状がなくなる。(前回は自力で乗り切った)
- 癇癪用の薬をもらう。結果、副作用で射精障害になる。癇癪はぴたりと止まった。
- 精神状態は去年と変わらず。
1月はまだ平和でした。生きてるのが奇跡ではありますが、生きてるので平和です。
2月
- 後厄が終わる
- コロナにかかる
- カンピロパクターにかかり、3日ほど熱と腹痛、排泄に苦しまされる。
- 飲んで記憶なくして、バイトの女性に迷惑をかけ、彼女に冷められ別れる。
- 彼女と別れたことをトリガーに2月中は固形物を一切食べなかった。※精神が崩れると、腹が減っても何も食べなくなる。
- 精神状態が常に崩れた状態になる。
自分の不祥事ですが、彼女とお別れしました。酒は飲んでも飲まれるなとはこのことなんだなと痛感しました。
あと、コロナとカンピロパクター患うダブルパンチが地味に辛かったです。
3月
全然記憶はないが、自殺薬(睡眠薬×ストゼロ)で何回か死のうとしたと思います。
やりすぎて親に朝、手首で脈を測られるという稀有な経験をしました。
一説では一万錠くらいが致死量らしいので、実際は自殺薬にはならない上に、四肢切断の危険性があるとのこと。やらんくてよかったね。
元カノは同じ職場(学生)だったので、色々死んでました(察してください)。卒業してったのでいいんですけどね。
4月
- ゲームに没頭する。1日10時間近く毎日ゲームしてた。
- 精神は戻ってきたが、希死念慮は常にあり、常に頭痛(死にたいと思うと発症する)に襲われる。
- 薬が3種類くらい増える。
- 元カノとやり直したいと思い、元カノが好きなカラオケを練習し始める。
- 毎日ストロングゼロを1〜2本を飲む。
正直言うと、あんま記憶ないんですよね。けど、常に死にたかったですね。
ストゼロは飲まないと希死念慮に襲われるので、それを消すために飲んでました。精神安定剤って感じですね。
5月
- 誕生日でした。
- カラオケをやめる。
- バイトを辞める
- 精神状態はほぼ変わらず。
記憶あんまりないけど、バイトは辞めました。親に「このままじゃあかん。就労移行支援いきなさい。」と言われ、6月から渋々通うことに。
ストゼロは常に飲んでました。
6月
- 就労移行支援事業所に通う。
- 軽作業系の作業訓練を全て卒業。
- グループワークの訓練を全て卒業。
- マッチングアプリを始める。
- ナンパをする。
- 精神状態が週を跨ぐごとに少しずつ回復。
- ストゼロを飲む本数が少しだけ減る。
人生の分岐点その1。就労移行は知り合いに【君が行くと多分、力を持て余すよ】と言われていたが、この時期はその通り持て余してた。元カノとやり直したい。そのために早く就職して自立したいと思い、常に優等生を演じていた。
就労移行では、自分の障害特性や、作業の得手不得手を見極める作業訓練をする。が、この時点では課題がほとんどなかった。
元カノを忘れるために、マッチングアプリとナンパを勧められてとりあえずやってみた。
マッチングアプリは正直成功していた。1ヶ月で7人くらいに会って、全員次のアポも取り付けたんだけど、毎回元カノの顔がチラついてしまい、1ヶ月でやめた。
ナンパは普通に無理でした。顔もコミュ力も並なので…。
7月
- マッチングアプリで仲良くなった人に勧められ、渋々鍼灸院に通う。
- 鍼灸院に通って以降、希死念慮が消える(現在まで一切再発してない)。
- ストゼロを飲まなくなる(ビールに変わった)。
- 事務系の才能が皆無だと思い知らされ、事務系の作業訓練が全く合格できなかった
- タッチタイピングにハマる。
- セフレができる
人生の分岐点2。
鍼灸院に通わなければ、今頃どうなっていたかわからない。
鍼灸院の人によると
「昔怪我した時に、体が歪んでしまっている。だから疲れが取れない。大丈夫。僕が治してあげるよ」
と言われた。半信半疑だったんだけど、施術1回目から効果を実感してしまう。疑ってごめんね。
本当に紹介してくれた人には感謝している。もう連絡取ってないけど(ブロックされた)。
事務系の作業は正直得意だと思っていた。何故なら、2020年に職業訓練校でMOSのexpertレベル以上のもの(ついでにVBA)を習得していたから。それだけに、めちゃくちゃしんどかった。欠片も向いていなかった。それがしんどくて、辛くて、必死に対策立てて、がむしゃらに挑戦しまくるという月だった。その過程で、タッチタイピングが必要やなと思い、始めるのであった。
タッチタイピングは右手人差し指の使い手からタイピング技能検定3級に合格するレベルに1ヶ月で成長(e-typingならC-→B+)。単純に趣味としてやってたから、成長が早かった。特別すごくはない。
ビールを毎日飲まないとやってはいけない体ではあるので、完治はしてないなーとは思います。
8月
バイトやめてから収入が本当に0円だったので、障害年金通ったのはすごく良かった。
前月の努力が活き、事務系の作業も全部クリアした。俺もやればできるんだなって思いました。
ちょっとした成功体験が後の自信につながるんだと思います。
9月
- 元カノがどうでも良くなる
- それに伴い、自分が何に対して頑張ればいいのかを見失う。
- 模擬就労訓練に移行。
- 特に大きなミスもしないし、しても改善の速度が早いので、余裕が生まれる。
- 勝手にリーダーの業務をサポート。周囲の進捗確認と作業補佐を率先して行う。
- 訓練の人達、基本全然会話がなくて暇だったので、とりあえずみんなに話しかけて仲良くなる。
- 9割の利用者さん、支援員と仲良くなる(第三者評価)。
- 1社面接を受けるが、普通に落ちる。
- 10月に模擬就労訓練の体制が変化。その際に何故かサブリーダーに就任することになる。
- この頃からゲームから離れ始める
元カノがどうでも良くなった。好きではあるんだけど、縋るほどではないなって急に思った。
でも、今まで元カノとの復縁を目指していたのに、目標を失ってしまう。「おれ、なんで頑張ってんだ?」ってなって結構しんどかった。
目的のない努力はめっちゃしんどい。モチベーションを保てないから。そんな中、「お前もリーダーにならないか?(強制)」と支援員から告げられる。
サブリーダーになるって告げられて、真っ先に思ったのは
【みんながどうやったら訓練に目的意識を持って取り組んでくれるようになるか】
ということだった。正直、ぬるま湯に浸かっていた。かなり余裕を持っていたので、ベクトルが他人に向いていた。
だが、新たな目標ができた。
【みんなを社会に出ても苦労しないようにする。】
こと。口で言うのは簡単だが、難しいことはわかっていた。だけど、やりたかった。僕はこう見えて面倒見の鬼なんだ。
面接はほぼノリで受けたので、まあ落ちた。準備不足です。
10月
- セフレが彼女になる
- サブリーダーとして訓練運営の9割の仕事を担う(作業分配や教育などの作業以外の庶務をほぼやってた)。
- チーム改革を始める(報連相のしやすい風土を作る、メンバーが目の前の作業以外にも目を向けるように仕向ける、とにかく褒めて伸ばすなど)。
- 色々やりすぎて常にマルチタスクになり、めっちゃミスするようになる。
- 期待値と現実の差が大きく、めちゃくちゃ落ち込む。普通に翌日や休日中ずっと落ちてた。
分岐点3。
正直、人生で1番頑張ってたと言っても過言ではない。
サブリーダーをやることで、色々な問題にぶち当たり、それに対してめっちゃ落ち込み、なんやかんや改善する。そしてまた問題にry ということの連続でした。
ちなみにサブリーダーは1番忙しいポジションです。メンバーの直接的な上長になり、リーダーの直接的な部下という設定になるので、リーダーより大変と聞かされています。
でもまあ、働くことの楽しさを学んだし、明確な目的が生まれ、やる気に満ちた。激動の1ヶ月だった。
11月
- 平日に酒を飲まなくなる(太ったから)。
- チーム改革には自分が1番頑張って、模範になる必要があると気づき、マルチタスク下でもミスをしない取り組みを構築。結果、イレギュラーなことが起こらない限りミスをしなくなる。
- 文房具に魅力を感じ、めっちゃこだわる。
- 自分のしていることがちゃんとみんなに反映されてるか不安になる。
- 自分の殺してきたアグレッシブな感情が特定の条件下で解放されてしまうという重大な課題が出てくる。
- 期待と現実の差を見せつけられても、大して落ち込まなくなった。落ち込んでも、数時間で持ち直せるまで回復。
サブリーダー2ヶ月目。模擬会社で役職(仮)がつくことによって、隠れていた問題が色々浮上。それを改善する日々が続く。
自分のやってるチーム改革が上手くいってるのか不安になりながら、自分の始めた物語に責任を持って続けていく。
あと、メモ魔になりました。それにつれて、仕事道具にこだわるようになった。
ノートは書き心地の良いものを選び、ペンも少しお高いものにした。
メモするだけで、覚えておかなくていい。こんなに仕事がしやすくなることがあるんだって気づいた。
それだけで、仕事が格段にやりやすくなった。ワーキングメモリに余裕が生まれるから。
あと、地味に酒飲まなくても生きれるようになった。人生楽しい。
12月
- チーム改革の成果が報告され始める(メンバーに主体性が芽生える、全体のミスが激減、新しいことへの挑戦を皆が求め始めるなど)※主観的評価でもあり、第三者評価でもある。つまり、概ね正しいと思われる。
- 僕より優秀なメンバーが現れる。
- 新人が2人増える
- 面接用の書類が3ヶ月前(9月の面接のもの)と全くちがうものになり、「同一人物なん?」って言われる。
- 模擬就労訓練を卒業してもいいし、リクルートに移ろうか!と言われる。が、わがまま言って入らしてもらってる。リクルートもやってる。
- 抗不安薬がほぼ無くなる(アナフラニール×1だけ)
やってたことが報われたのを痛感し、人生で1番嬉しいんちゃうかってくらいの幸福感に包まれた。
僕がみんなにしてあげれることの8割は終わったんだけど、まだまだ課題はある。
環境を整えることは出来たけど、個人へのコーチング、ティーチングはまだ未完成。
だからまだサブリーダーを降りる気はない。
それに、引き継ぎできてないしね。
感想
なんか、変わりましたね。
人生の分岐点がいっぱいあって、苦しい方を選び続けた。でも、それが今の自分を構築してる。
努力は絶対報われるわけではないが、努力しないと報われることはない。それを痛感しました。
それを気づかせてくれた就労移行には圧倒的感謝🙏
終わりに
ここまで駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
今年の振り返りを文字にしたかたったので書きました。
本当は紙に書きたいんですけど、あえてこっちに書きました。人は変われるということをみんなに知ってほしいから。
来年がどんな年になるのか楽しみです。鬱になって以降、こんな感情を持ったのは初めてです。
就労移行支援事業所に通って、僕は変わりました。
いろんな価値観触れ、自分の課題に毎日向き合う。
僕が1年間の社会経験で得た知識よりも、遥かに多い知識や自分との向き合い方を学べました。
困っている方がいたら、就労移行支援を頼ってみるのも一つの手です。
条件はありますが、大抵の人は入れます。医者と就労移行の人たちを信じろ。
とまあ、これがおっさんの1年間です。
御拝読ありがとうございました。多分ですいませんでした。
また会う日をお待ちしています。
感想はTwitterにお願いします。